

母が退院した。
厳密に言えば退院させた。
入院後二週間を超える頃から投薬に慣れてきたのか、かなり頭がはっきりしてきた。
そして『家に帰りたい‥』と言い出し始めた。
痛みが治まってきた為か、じっとしていなくなった。
夜中にベッド上で暴れたらしく『危ない!』との理由でベッドに縛り付けられる羽目に‥聯
その翌日に母に尋ねてみても本人は全く覚えていない。
父と私は我々がいない時に縛られる母が可哀想で‥輦
(他の患者さん達にも迷惑がかかるし仕方がないことだが‥)
この位の元気があれば自宅で何とかなるのではないかと‥
思い切って退院させる事にした。
以前のように在宅介護に戻す事にしたのだ。
‥とはいえ以前とは比べ物にならない程状態は悪い。
早速
ケアマネさんを尋ね相談した。
訪問看護の看護師さんを交えて今後の対策を検討‥
自宅での治療に切り替えることにした。
そして以前お世話になった
介護ヘルパーさんにも毎日来てもらうことに‥
訪問医療の先生も再度お願いし、
看護師さんも週に二回来て貰う事になった。
それでも、一番大変なのは常に一緒にいる父な訳で、私も毎日実家に行かなければならない。
投薬も私達で行わなければならない。
(強い薬の為、投薬後の開き袋はすべて病院に返さなければならない‥)
苦難を承知の上、母を自宅へ搬送した。
二度と戻ってこられないと思っていた自宅に帰ってきた母は余程嬉しかったのだろう。
病院では殆ど食事を摂らなかったのに、自宅では色々な物を食べてくれる。

口から栄養が摂れるせいか日を追うごとに元気が出てきた。連
痛みもないせいか、頭もはっきりしてきて普通に会話ができる程回復してきた。烈
(文句まで言うように‥)
この調子ならもしかしたら無事にお正月をむかえられるのでは・・と思う程の回復ぶりだ。
父と私は一安心!!
‥と思ったのも束の間!昨日の朝方に父から電話が‥
嫌な予感・・・

電話に出ると‥
予感的中だ!!母が朝四時頃、『うんうん』うなっているので熱を測ったところ
39度4分もあるという。
熱があるせいか意識もうろうとして水も飲めないような状態だと‥嶺
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『嘘でしょ!!昨日あんなに元気だったのに‥』嶺
父の話では前日の夜もしっかり食べ、とても元気だったとの事。
(私も夜電話で母と話をしたのに‥)
父にはとりあえず24時間体制の看護ステーションに電話を入れ、先生と連絡をとってもらう様に伝えた。
私は慌てて仕度をして実家へ向かった。

車の運転をしながら
≪来るべき時が来てしまったのか‥≫と考えたりしてしまう。
焦りまくっている私の頭の中には考えてはいけない事が駆け巡ってくる。輦
自分自身が相当動揺しているのを感じ『落ち着け!落ち着け!』と言い聞かせた。
実家に到着すると、介護ヘルパーさんが来ていてオムツ交換と着替えをさせてくれていた。
母は真っ赤な顔をして「ぐた~っ・・」としたままだ。
父は私が到着するまで、一生懸命母に水分を与えていた。
丁度その頃、看護センターを通して先生からの指示があった。

処方されている薬の中に解熱剤があるのでそれを飲ませ、座薬を併用するようにと‥
あいにく先生は外来での診察があり家に来るのは午後三時過ぎてしまうとの事。
それまで何とか私達で対応しなくてはならない。
相当の覚悟をした私だった。
最初は話しかけても反応が薄かった。
30分ごとに熱を測り水分を与え、頭を冷やし続けた。
汗もいっぱいかくので何度も着替えさせた。
すると時間を追うごとに熱が下がってきた。
裂信じられない事に、なんと3時間程で36度台まで下がってきた。
先程までが嘘のようである。
そして母の意識もだんだんとはっきりとしてきた。
母の回復振りの早さに父と私は目を疑った。
そのうちに母は話が出来る様になり、食事を摂るほどの元気が出てきた。
そう、いつの間にか昨日までの母に戻ってきている。

数時間前までの出来事は何だったのだろう??
恐るべし!我、母上様!!何という強靭な根性!丁度その頃、担当の看護師さんから電話がかかってきた。
母の様子を話すと、とても喜んでくれた。
担当の先生が来た時にはすっかり先生と話ができるようになっていた。
インフルエンザの検査をした結果は陰性。


肺炎でもないと言う。
投薬の副作用でもない様で、結局は原因不明!
何であんなに高熱がでたのか??
とにかく抵抗力が弱っているので感染症にかかりやすいとの事。
充分注意するように言われた。
朝早くから大変な一日になってしまったが、ほっと胸を撫で下ろした。
大事に至らなくて本当に良かった。

これからはこのような事の連続になるのだろう事を痛感した一日だった。
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